私は小さい頃から健康体で学校を休むことはほとんどありませんでした。
社会人になってからも同様で仕事に邁進していましたが、上腹部の痛みと止まらない下痢で病院を受診し、潰瘍性大腸炎の診断がつきました。
私は外来受診や検査等で今後会社を休むことが有るだろうと上司、私に関係するスタッフ、親しい友人など20人くらいに潰瘍性大腸炎になったことを話しました。
しかしながら、潰瘍性大腸炎という病名を知っていたのは、20名中私の上司一人しかいませんでした。また病名を知っていてもその症状、完治はしない難病とは知りませんでした。『安倍総理も同じ病気で』とか言うと『あー、あの病気ね』とかなるものの、それで終了でした。
最初のうちは『大腸に炎症が出て、血便とか下痢とかになって』とか説明をしていたのですが、あまり理解していない様に感じてきたので、詳しく病気の説明をすることは無くなっていきました。ましてや『難病』とか言うと、難病という言葉だけが一人歩きするような気がして極力難病という表現は使いませんでした。
そんな中、私は次第に孤独を感じる様になっていました。
私は診断後、ペンタサが良く効いていたので病気自体の苦しみはあまり無かったのですが、この病気を理解してくれる人があまりいないというのは結構辛かったです。
この頃から潰瘍性大腸炎になった人の体験談やブログを見だし、次第に共感を得る様になっていました。
特に漁る様にネットを見出したのはガンが見つかり、大腸全摘しなければならなくなってからです。
もう当時は本当に精神的に参っていました。
『本当に大腸を全摘しなければならないのか?』『取ったら生活、仕事はどうなるのか?』などなど調べまくりました。
手術の前日、病院に入院しても私はこれで良いのかまだ迷っていました。
しかしながら、手術を止めるという選択は現実的にはなく、追われる様に手術を受けました。
手術を受けるとまぁやっぱり辛い。
『今後の自分はどの様な経過を辿るのか?』、またネットの情報を漁り始めました。いつから食事が始まって、ドレーンが抜けて、ストーマの管理が始まって等、大体が得た情報の様に事は進んで行くの非常に参考になりました。
1期目の手術が終わると、2期目は『いつ位にやり、どんな内容の手術をして』とか調べ始め、今度2期目の手術が終わると、『お尻の痛みがいつまで続くのか?』とか調べ始め、ずーーっとネットを見ていました。
復職してからは、さすがに見る回数も減りましたが『1日の便回数がどれ位に収まって行くのか?』とか調べていました。
『もし、ネットの情報が無かったらどうだったろうか?』と考えるとかなりの孤独を感じていたし、将来に不安を覚えていたと思います。
私が書いている大腸全摘に至るまでの経緯は医師から言わせてもかなり少数の様です。
そんな経緯でも『あー分かる!』とか『これからこうなるんだ』とか、共感やこれから起こることを知って不安を軽減してくれる人がいれば良いなと思いながらこのブログを書いています。
潰瘍性大腸炎発症から1年程でがん化し、大腸全摘せざるを得なくなった40代商社マン。大腸全摘後も世界を飛び回っています(今はコロナで自粛中)。
潰瘍性大腸炎・大腸全摘手術をした経験やその後の生活を書き綴っています。
(時々熱い想いも書きます笑)